
なぜあなたのサロンに「定番メニュー」が必要なのか?——論文から学ぶヒットの法則
自由と不自由のあいだで、私たちはハサミを持つ
最近、美容サロンを自分で始めたいという人と話す機会が多い。みんなすごく熱心で、自分の「こだわり」を語ってくれる。それは素晴らしいことだと思う。自分の城を持ち、自分の美学を形にする。それはある種の救いだし、生きる意味そのものかもしれない。
でも、話を聞いていると、ときどき背筋が少し寒くなることがある。 「他にはない、全く新しいサービスをやりたいんです」 「自分の感性を信じて、ニッチなメニューだけで勝負したい」 「既存のサロンなんて、みんな同じでつまらない」
気持ちは痛いほどわかる。僕も、型にはまったものが嫌いだから。でも、こと「経営」という現実の土俵に上がったとき、その「新しさ」への執着が、自分自身の首を絞める刃になることがある。
私がある論文を読んでいて面白いなと思ったのは、「ヒットやブームは、企業の模倣によって作られる」という視点だ。私たちが「これが欲しい」と思う気持ちさえ、実は誰かが作った流れに、ただ浮かんでいるだけなのかもしれない。
「癒し」という虚構が、いかにして「現実」になったか
1990年代の半ばから後半にかけて、「癒し」という言葉が爆発的に広がった。今では「癒やされたい」なんて言葉は、喉が渇いたから水を飲むのと同じくらい自然に使われているけれど、歴史を遡れば、それはある日突然、誰かによって「発明」されたものだということがわかる。
松井剛氏の論文(2004)は、この「癒し」ブームを、社会学的な視点から鮮やかに解剖している。
多くの人は、不況でストレスが溜まったから「癒し」というニーズが生まれた、と考えている。でも、論文の指摘は違う。
ブームの本質は、人々の心の変化ではなく、企業の「模倣」と「正統性」の獲得プロセスにあるという。
最初は、お香とかヒーリング音楽とか、ちょっと得体の知れない、スピリチュアルで怪しいと思われていたものたちがいた(第I期)。それが、化粧品メーカーや高級ホテルといった「ちゃんとした企業」が模倣して参入し始めたことで、風向きが変わった(第II期)。「あの有名企業もやっているなら、これはまともなものなんだ」という信頼が生まれたんだ。
そして坂本龍一の「energy flow」やソニーの「AIBO」が登場し、マスコミがそれを「癒し」というラベルで一括りにしたことで、ブームは完成した(第III期)。
ここにあるのは「個人の欲求」ではない。「みんながやっているから正しい」という、ある種の集団的な思い込みの力だ。私たちは、自分たちが何を求めているかさえ、周りの模倣の連鎖を見て決めている。
「認知的制度化」——人は「知っているもの」しか選べない
なぜ、私たちは「新しいもの」よりも「どこかで見たことがあるもの」を選んでしまうのか。論文ではこれを「認知的制度化」という言葉で説明している。
例えば、あなたが街を歩いていて、全く見たこともない、入り口がどこかもわからない、看板に何語かも不明な文字が書かれたサロンを見つけたとする。そこに入ってハサミを預けられるだろうか?
おそらく、ほとんどの人は素通りする。たとえ中の技術が世界一だったとしても。
人は、自分の脳内にある「紋切り型の思考枠組み」に合致するものに対してだけ、警戒心を解く。
「癒しと言えば、アロマの香りがして、落ち着いた音楽が流れていて、清潔なタオルが出てくる場所だよね」 という共通認識。これを論文では「正統性」と呼んでいる。
この「正統性」がない場所で、いきなり「独自性」を叫んでも、それは単なる「ノイズ」として処理される。あなたの「こだわり」を届けるためには、まずお客様の脳内にある「サロンとはこういうものだ」というテンプレートを、賢く利用する必要がある。自由になりたいなら、まず不自由なルールを受け入れる。皮肉だけど、それが社会という場所で生きていくための作法なんだと思う。
戦略としての「模倣」は、個性の死ではない
「模倣」と聞くと、クリエイティブな仕事をしている人は嫌悪感を示すかもしれない。二番煎じだとか、パクリだとか。
誠に、この論文が教えてくれるのは、模倣こそがマーケットという荒野で生き残るための「最も合理的なサバイバル術」だということだ。
不確実な状況下(例えば、初めての開業)では、人はヒット実績のある手法を真似る。これを「模倣的同型化」という。これは決して怠慢ではない。
「定番メニュー」を用意することは、お客様に対して「私はあなたの知っているルールで商売をしていますよ」というサインを送る儀式のようなものだ。
定番という「器」をまず模倣して、しっかりと作り込む。その器にお客様が安心して座ってくれたとき、初めてあなたの「独自のこだわり」という劇薬を、一滴だけ垂らすことができる。その一滴こそが、他店との本当の差別化になる。
器まで奇抜にしてしまったら、中身のこだわりを味わってもらう前に、お客様は逃げてしまうんだ。真似ることは、守ることだ。自分自身のこだわりを、世間の冷たい目から守るための防護壁を築くことなんだ。
なぜ「ハコ」選びが、あなたの正統性を決めるのか
さて、メニューが決まったとして、次に考えなければならないのは「どこでやるか」だ。 「どこでもいい、腕さえあれば客は来る」というのは、残念ながら幻想に近い。
論文の中で、大手企業が「癒し」に参入したことで正統性が高まったように、店舗を構える「場所」や「ハコ」そのものが、あなたのサロンの正統性を代弁することになる。
雑居ビルの薄暗い一室で「最高級の癒し」を謳っても、お客様はどこか不安を感じる。一方で、その街の文脈に溶け込み、サロンとしての「型」をしっかり持った物件であれば、それだけで集客の半分は終わったようなものだ。
多くの人は、まず自分のやりたい内装を考えてから物件を探すけれど、本来は逆だ。その物件が持つ「正統性の匂い」を感じ取り、それに合わせてメニューを微調整していく。それが、論文が説く「環境への適応」というものだ。ハコという制約があるからこそ、その中でどう遊ぶかというクリエイティビティが生まれる。
模倣の先にある、あなただけの「逃げ場」
私は、すべてのサロン開業者が成功してほしいと思っているわけではない。そんなのは綺麗事すぎる。ただ、自分のこだわりという「檻」に閉じ込められて、誰にも気づかれずに消えていくのは、あまりにも悲しい。
だから、まずは賢く「世間の当たり前」を模倣してほしい。
正統性を手に入れ、安定した収益を確保する。それは、あなたが本当にやりたい「尖ったこと」を続けるための、最強の盾になる。
世の中のルールを理解した上で、そのルールを少しずつ自分の方に引き寄せていく。そんな、しなやかな強さを持ったサロンが増えればいいな、と思っている。何もかもをゼロから作る必要なんてない。先人が作った「癒しのレール」の端っこを、ちょっとだけ借りればいいんだ。
「型」から入るための、最初の扉
デジタルな情報の波に呑まれ、自分がどこにいるのか分からなくなるのは、もう疲れた。
溢れかえる「正解」らしき言葉。誰かの成功体験をなぞるだけの毎日。その果てに、自分だけの「何か」を見失いそうになる。
さて、ここからは少しだけ、私が所属している場所の話をしたい。
といっても、よくある「おすすめ物件はこちら!」みたいな退屈な話をするつもりはない。
私が日々扱っているのは、単なる不動産のデータではなく、誰かの「正統性」を形作るための舞台だ。 私たちが運営するポータルサイトは、事業用物件、特にサロン系の物件にかなり偏執的な情熱を注いでいる。
なぜなら、私たちは知っているからだ。
どんなに素晴らしい理論も、どんなに優れた技術も、それを具現化する「ハコ」が間違っていれば、それはただの空論に終わるということを。
「定番」をしっかり守れる堅実な場所から、少しだけルールを外れて遊べる面白い空間まで。 あなたの頭の中にある「サロンの型」を現実にするための、いわば部品がここに揃っている。
もし、あなたがこの論文の視点に少しでも共感してくれたなら、私たちが用意した舞台を一度覗いてみてほしい。
そこで見つかるのは、ただの「物件」ではなく、あなたのこだわりを世の中に認めさせるための「正統性の足がかり」かもしれない。
この記事を読んで、サロンを開きたくなったあなたへ。
もし、この不確実な世界で自分の「正統性」を試してみたいなら、まずはその足場となる場所を探す必要があります。
私たちの不動産ポータルサイトでは、都心エリアを中心に、サロンに特化したさまざまな物件を扱っています。街の磁力を見極めるための第一歩として、覗いてみてください。
参考文献
松井 剛(2004)「『癒し』ブームにおける企業の模倣行動:制度化プロセスとしてのブーム」『流通研究』第7巻第1号